塾業界パラドクスの基本方針


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千葉県入試も結果が発表されて落ち着いてきた頃なのでまた書いていこうと思います。

 

「試験結果が終わるまで黙っておくのが正しい」みたいに言う方達もいるみたいなので、しばらく沈黙していました。

 

確かにそういう考え方もあるでしょう。ただ、「それが正しいからあなたもそうしろ」となってくると、ちょっとそれには違和感があります。


ここのブログでも「これおかしいよね」という問題提起をすることはありますけど、その考え方と違う人のところにおしかけて「あなたおかしいよ」とは言いません。

 

 

「みんな違う」ということを前提でネットやブログは見て欲しいと僕は思ってます。

 

 

「あなたはわたしと考えが違う」ということを言われても、こちらとしても「はぁ確かにそうですね」としか言えません。

 

そこに正しいとか正しくないなどなくて、正しさというのはほんと相対的で。

 

ここからみれば「正しい」が、こちらからみれば「正しくない」。というすごく当たり前のことなんですけどわからない人もいるようなので詳しく今日は書きます。

 

 

自分から見て「正しい」と感じるところをネットでは繰り返しみるでしょう。それでいいんじゃないですか。

 

「正しくない」と思うのなら、見なければいいわけです。

 

もしくは、自分のブログなどでそれを訴えたらいいでしょう。いくらでも書いてもらって構いません。それを支持してくれる人と楽しく仲良くやったらいいんです。

 

ツィッターみたいなもんですよ。ブログも。読みたい記事をフォロワーの人が追っかけていけばいいだけです。

 

それでもどうしても相手に直接「正しくない」と言いたいなら、自分の責任所在を明らかにしてから直接連絡したらいいと思います。

 

以前かまなびに直接電話してくれた方もいます。それなら話はわかります。

 

しかし、自分の所在を明らかにせずに直接言いたいことだけ言うのは、ネットのマナーとして「正しくない」のではないでしょうか(もちろん、この正しさも相手に強要しません。ここで書いているだけで、他の人のところで匿名で言うべきことでもない程度の正しさです)。

 


 「かまなびのブログ」の基本的スタンスを書いておきます。

 

以下に書くことは、正しいとか正しくないとかそういうことではありません(くどいようですが、わからない方もいるようなので念のため)。

 

(基本スタンス1)このブログは誰が読んでも正しいと思えるようなことは書いていません。

 

調べたり、見聞きした情報から、予測できることを書いているに過ぎません。あとで間違っていたとか言われても責任はとれません。

 

以前「うちの塾にはあてはまりません」みたいなことを書いてきた人もいますけど、「全てに適用できるようなことでなければブログで書いてはいけない」ということにしたら、誰も何も書けなくなりますからね。

 

例えば、「○○点で合格したということがわかりました」と書いたとしましょう。「もっと高い得点でも不合格だった」可能性もありますよ。

 

千葉県の公立高校受験では「合格基準に達していても審議対象」もありますから。そんなことは結局わからないんですよ。

 

高校が公表してくれない限りは「予測」しかできないんです。

 

もしかしたら点数を「盛って」ネットで書いている人もいるかもしれない。そういうこともありうるかもしれないですけど、そういうこと言い始めたら何でもいちゃもんをつけることができます。

 

しかし、そういうことは言わないで、今わかっている(嘘かもしれないけど)ことで情報を寄せ集めて考えられることを書いてみよう、語ってみようというのがネットだと思います。

 

あとで間違っていたとしても、その時点でそう考えることもできたので、間違えることも当然あります。どうやら、そこをわからずに読んでいる方もいるようです。

 

 

(基本スタンス2)塾に通っていない、もしくは通っていても受験情報の収集に困っている人向けに書いています

 

塾に通っていて情報がある人達からしてみれば、「余計なことは言うな」と思うかもしれません。しかし、そうではない人もいるんです。

 

塾に通っている場合には、通っている塾に「受かりますか」「平均点はどれくらい?」など雑談で聞けるでしょう。そういうことができない人もいるということをご理解ください。

 

 

だから「どの時点で、どのテーマを書くのが正しいのか」というのも相対的なものです。

 

「合格発表前に試験の結果にとやかく言うことは、子どもをいたずらに刺激させるから間違っている」と言うのも、ある立場の人にとっては正しいかもしれません。

 

では果たして合格「後」に試験結果についてとやかく言うのは、子どもをいたずらに刺激させないのでしょうか。

 

 

例えば、不合格だった子がそうした結果に関わるものを目にして「あと1点足りなかった」とわかったとします。

 

「あぁあのとき答えを変えなければ…私は受かっていたのか」と考えるかもしれませんし、

将来の受験生からすれば、「こんな1点の争いになって、多くの人が熱狂していること」その現状を見て勉強するのが嫌になってしまうことだってあるでしょう。

 

そもそも試験前に倍率が公表されることだって「子どもをいたずらに刺激させています」し、高校を受験者が決まっていない段階で「偏差値ランク順で優劣つけていること」だって子どもを混乱させている原因になっています。

 

「子どもに刺激を与えない」ようにするんだったら、受験という制度自体辞めた方がいいはずでしょう(教育委員会や文部科学省に直接伝えて下さい)。

 

受験については子ども以上に熱心になりながら、自分が読みたくない記事が書いてあったので、そういうときに都合よく「子どもを刺激させている」というような一般論を、ここで発言されても困るんです(他で悪口をいくらでも書いてくれて構いません)。

 

(基本スタンス3)かまなびの見解を聞きたいという人もいるので、断定できないことも書いています

 

よくわからないことが起きたときに、このテーマについてあの人はどう考えるのだろう?と聞きたくなるときがあります。

 

それにできるだけ応えたいという気持ちがあります。それが正しいとか正しくないとか関係なくただ聞きたいということがあるでしょう。

 

あの人ならどう考えるのか、それだけなんですけど、「不謹慎だから発言するな」と言われても困ります。そうではない人もいるです。

 

受験に関する情報を発信・発言することが不謹慎になってしまう異常性

 

僕が思うのは、発言できない雰囲気の方が異常だと思いますよ。

 

見たくない人は見なければいいだけなんですから。

 

みんなが何も語らず自粛し、発言した人を「正しくない」と叩いている状況が正常な状態だとは到底思えないのです。

 

もしかすると「受験が全てを決めてしまう」という閉塞感がそういうピリピリした雰囲気を作っているのかもしれません。

 

しかし、「受験で不合格になったからってたいしたことではない(もちろん合格してほしいですけど)」という空気を大人が作らなければ、子ども達は苦しく感じてしまいませんか。

 

 

「受験勉強を通して人間力がつく」とうたう塾をよくみかけますけど、受験勉強でうまくいかなくても「人間力に影響はない」と考えた方が健康的です。

 

人間的に否定されたわけではないんですよ。勉強してきたことだって、不合格になってなくなってしまうわけではないのです。

 

隣国では「受験至上主義」になってますね。人間としての「成功」をそれで決めてしまうような雰囲気が漂っています。

 

その半面、その国では「不合格だったとき」や「諦めた」子ども達の自殺が多いと聞きます。

 

 

受験に関しては、「点数がつけられる項目でどれだけ点数を多くとることができるか」ぐらいのスタンスでいましょうよ。

 

 

その項目に関して「向き」「不向き」が当然あるわけで、「不向き」だったとしても、そのことで人間的に否定されるわけではないですし、いくらでもやり直しがきく。

そのことをもっと大人が伝えてあげて欲しいです。


かまなびでも出題予想やりましたけど、その程度の勝負なんですよ。

 

こっちが出た出ないというレベル。

 

くだらないことなんです。

 

そんなものは予想して情報戦で乗り越えてしまうことだってあるわけです。

 

 

ほんと人間力とか関係ないです(合格した人の頑張りや人間的な資質を否定するわけではありません)。


どこの学校に合格しようが不合格だろうが、どこに進学してもあなたはかけがえのないあなたなのです。

 

 

高校でも前向きに学びを続けて欲しいと願っています。

 

以上がかまなびブログの基本方針です。

 

合わない方には、非常に刺激が強すぎる内容も含まれていますので、心配なご家庭ではお子様にあまり読ませないようにして下さい。よろしくお願いします。

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(基本スタンス4)各種苦情コメントは所在を明らかにした上で書くようにして下さい。