モビリティを確保するfrom『諦める力』


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塾のある生徒が受験だからってSNSをやめたのだとか。そしたら暇ができてよく寝れるようになったんだとか。

モノがあふれるようになって、それらに縛られてしまうという逆説的な状況が起こっています。だから、そうしたモノを捨てていくと、それだけで自由になってしまうという。

この点について最近よく取り上げている為末大さんの『諦める力』に次のようなことが書かれています。

〜ここから引用〜
モノをたくさん持つことが豊かさだという時代は過去のものになりつつある。モノに縛られないことの豊かさや幸福感というものに、多くの人が気づき始めているのではないか。

「ほどほど」や「そこそこ」を目指す気持ちは、「縛られたくない」という感覚ともつながるのかもしれない。 僕が言っているモノには人間関係も含んでいる。フェイスブックに友達が一人もいない 寂しさもあるけれど、二000人いることの煩わしさもあるのだ。 

・(中略)・・持ち物も人間関係も必要 なものだけにギュッと圧縮してみたら、逆に選択肢が広がった。 やらなくてもいいことはやらない、つき合わなくてもいい人とはつき合わない。 そう割り切ると思いもしなかった自由さが手に入った。

自由になることは、財産が増えていくことと反比例するような気がしている。

できることなら、ほとんどのことをまっさらにしておきたいくらいだ。 僕たちは生きていかなければならない。生きていくためのサイズを小さくしておけば、 やらなければならないことが減っていく。何かをやめることも何かを変えることも容易になっていくのだ。 
〜引用終わり〜

やめようとしてやめることができない(捨てようとして捨てられない)のであれば、ある意味で不自由ですよ。モノがあふれてますけど、いらないものはいらないと自分で取捨できなければ、それはモノに縛られているわけです。モノが主体なのか、自分が主体なのか。時間は有限です。何を取って何を捨てるか?考えて生きていますか?

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