池田晶子『14歳になる君へ』


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先日、中3生が修学旅行から帰ってきましてお土産をたくさんもらいました。

 

ある生徒が、「修学旅行中に財布を落としてしまった」と言うんです。

 

それは大変だったねなんて話していたら、財布は届けられて後日送ってもらえることになったのだとか。

 

そういえば、最近、知人も財布を落としたところ、交番に届けられ無事に戻ってきたのでした。

 

どうやら日本ではどこかで何か大事なものを落としても戻ってくる可能性が割と高いのかもしれません。

 

個人レベルでみるといい人が多いとも言えます。

 

ところが、権力を持った政治家が私腹を肥やしていたり、大手企業が性能を偽装して商品を売ろうとしたり、いずれもセコイ話がニュースになっていますね。

 

個人レベルでは正しい行動ができる人が多いのに、権力者や企業というスケールが大きくなりはじめると正しい行動が取れなってしまうのはなぜか。

 

こういう本質的な問いにぶつかったときは池田晶子さんの本を読むとヒントが書いてあったりします。

 

以下引用。

生きるための手段にすぎないお金が、生きる目的になってしまったところから、この悲喜劇は始まっているだって、考えてごらん。現金、硬貨やお札なんて、ただの 紙切れや金属のかけらじゃないか。数字、それはただ大きな数字じゃないか。それが大金だ、すごい、価値があると思うのは、人間がそれに価値を与えているからにすぎないじゃないか。

 

人間がそれにお金という価値を与えているだけで、それ自体が価 値であるわけではないんだ。これはまったく当たり前なことなんだよ。社会や時代や状況とともに、 お金の価値はくるくる変わる。生きていれば億万の価値も、死ぬ時にはゴミに等しい。

 

そんなふうに、社会や時代や状況とともに変わってしまうような価値は、本当の価値ではない。本当の価値は, いつどこでどんな時でも同じ変わらない価値でなければならない。なぜなら、変わるもので変わるものを導くことはできないからだ。

 

社会や時代や状況とともに変わってゆく人生を、正しく導くことができるのは、変わらない価値だけだ。大事な人生を導くことができるから、 価値は価値だと言えるんだ。

 

さて、それはどこに存在するだろう。

 

お金は本当の価値ではない。社会や時代や状況とともに変わらない本当の価値は、だから、社会や時代や状況の中にはない。それならもうわかるよね。

 

外にないなら、内にある。本当の価値、君の人生にとって本当に大事なものは、君の中にこそある。価値は君の中にいつも変わらずに存在しているんだ。あとは君が気がつくだけだ。 むろん、生きてゆくために, お金はやっぱり必要だ。やっぱりお金は欲しいと思う。なんだか自信がなくなったら、こう自問してみるといい。私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか。生きるためなら、何のために生きているのか 。」

 

 

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