木村草太『テレビが伝えない憲法の話』


憲法記念日が近づいてきていますね。


日本国憲法は改正した方がいい、改正しない方がいいと議論されていますが、私たちはどれくらい日本国憲法のことがわかっているのでしょうか。


その理解を助ける1冊が、木村草太『テレビが伝えない憲法の話』です。


「テレビが伝えない」としていますけど、著者の木村教授は、テレ朝の「報道ステーション」のコメンテーターなのでテレビでも伝えてくれています。


報道ステーションは、古賀さんの件で揉めてましたけど、リベラル保守の中島岳志教授も出演していて、コメンテーターの選抜がいいですね。


この本で肝に銘じたい一節を紹介したいと思います。


GHQが作った原案を日本国民に押し付けたのは不当だという主張を展開する「押し付け憲法論」について書かれたところです。


~引用~

 この手の物語(押しつけ憲法論)の厄介なところは、とても「分かりやすい」ところである。「戦勝者が敗戦者に押し付けた屈辱の文書なのだ」という説明は、日本国憲法の法技術的、あるいは外交宣言的な内容の繊細な説明よりもはるかに短時間で理解できる。頭が疲れてくれば、分かりやすい話に飛びついて、分かった気になり、はいおしまいとしたくもなるだろう。しかし、そうした「分かりやすい」議論の限界が分かってくる。ここまで分析してきた国民主権、権力分立、人権保障、平和主義、憲法改正手続きは、「屈辱の物語」などを読み込まず、それ自体を読めば、十分に納得できる合理的な内容だろう。

 したがって、まず、憲法はその内容で評価すべきだ、という理性的な議論を定着させることが重要である。内容と無関係な物語(押しつけ憲法論など)を読み込んで、合理的な内容の憲法を排除しようとすることは、国内法としても、外交宣言としても好ましいことではない。

~引用終わり~


「分かりやすい」話に飛びついてしまうというところは、憲法に限らず、様々な場面で気をつけなければいけません。


塾業界でもコンビニ個別指導塾が量産され、たくさんの人が利用するようになっています。しかし、これも「わかりやすい」という話に多くの人が飛びついた結果なのかもしれません。「わかりやすさ」を重視した結果として大事なことが見落とされていないか。「わかりやすさ」の限界はどこまでか、常に気を配る必要があると思います。