働いている人達が「やる気」を出している塾に通うと、子どももやる気を出すんじゃないか


今日も塾選びネタを。
塾のチラシを最近多いですね。新学年が近づいているからでしょうか。
チラシを見ていて「できる できない」ではなく「やるか やらないか」だろうというフレーズが目に付きました。
じゃあその「やるか やらないか」は何によって左右されるのか。
「やる気」だというわけです。
「やる気」至上主義の誕生です。
以前も言いましたけど、やる気を出すのは塾で働く人たちが先だと私は思います。
まず、働いている人達が、伸び伸びと働けない限り、働く側の「やる気は出るはずがない」と思います。
このことがわかっていない限り、永遠と「子ども側のやる気スイッチ」を探し続けることになります。
「やる気スイッチが生徒の中にきっとあるはずだ」という「やる気スイッチドグマ」で、「思考停止スイッチがオンになる」のです。
このように、いつまでも生徒側のやる気ばかりに拘っては問題の本質は見えてきません。
今のコンビニ塾乱立時代で働く人達は「やる気の出る環境でしょうか」。
また、中央集権型の規律重視型の塾ではどうでしょうか。
「基本的には放っておくとサボるから」と報告ばかりさせ、教室間同士のくだらない授業販売競争を煽る体質の塾はどうでしょうか。
心当たりのある塾屋の方は多いと思います。
「俺のやる気が出ないんだよ」と、これを誰かどうにかしておくれ。
生徒のやる気もそうだけど、俺のやる気を殺がないでおくれと。
生徒をやる気にさせるなら、塾屋の労働環境を改善させることが近道だと私は思っています。
以前勤めていた頃の話ですけど、講師にとやかくダメだししたり、あれこれと指示するより、何でも発言しやすい環境を作って、「こうした方が生徒にとっていいんじゃないか」と思いついてすぐに実行できる環境を作ることに力を入れていました。
だって、その方が、講師も伸び伸びと上機嫌に働けるので表情も良くなり、そんな先生に習っている生徒も元気になってくる。そういうもんなんだと思います。
話は戻りますが、とある誰かが「塾屋なんて誰でもできる」とフランチャイズ展開させコンビニ塾をたくさん作ってしまいました。
しかし、「どこでも同じコンビニ塾」というのは、「なくなっても誰も困らない塾」です。
つまり、コンビニ塾では自分に呪いをかけながら働いているのです。
この自覚だけはしておいた方がいいでしょう。
実際に、私が務めていた頃は、自分自身のやる気がジワジワと薄れていくことに危機感を覚えていました。
「あ、これはあとここで10年続けたらただの生気を失ったジジイになるな」と。
「給料もらってるんだから組織に貢献してやる気出せよ」
「あっちの教室は生徒集まっているのに、お前の教室はどうなっているんだ」
という恫喝でやる気が出せるのは、テスト秀才のまま大人になってしまった、見た目が大人の人だけでしょう。もっとも、塾屋ではそういう人達が、出世して会社の舵をとってるのかもしれませんけれどね。
ところで、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」では、本物のウイスキー作りを断念して、日本人の口に合うように偽ウイスキーを作り始めました。このとき主人公はどうなったと思いますか。
生命力が衰えて倒れてしまったのです。しかもそんな偽ウイスキーは全く売れないという悲劇…。
このような身体の拒否反応はドラマだけではなく、実際にあることだと思いますよ。
会社のため、組織のためと身体の拒否することをやり続ければ、あとで必ずその反動が身体に表れます。しかも肝心の生徒も集まらないことだってありえます。だって、そんな「やる気」のなくなってしまった人達が働くところは、子ども達だって通いたくないでしょう。子どもは、そういうことに敏感に察知すると思いますよ。
特に「子どもがやる気を出して頑張ってほしい」ということでお困りの場合には、「子どものやる気スイッチを探してくれる」塾を探すのではなくて、「やる気を出して講師・スタッフが働いている」塾を探すことが塾選びの重要なポイントになるのでないでしょうか。

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