話す内容がどれだけ立派で、熱血に語ってもメッセージは届かない


確かに正論なんだけど、この人に言われるとなんか小腹が立つんだよなぁ。

 

そういうことってありませんか。


会社勤めのときも、任された仕事(掃除とか)すらしていないのに、「教室はこうあるべき」みたいなことを語る人がいました。何言ってるんだろうこの人。と呆れていました。

 

これは子育てでも言えることだと思います。子どもはよく見ていますよ。

 

生徒がよく言うのです。

 

「先生が休みのとき、あの先生はサボってばかりいたよ。」

「あの先生は、うれしそうに女生徒ばかりと話しているよ。」

 

そういう先生に説教されてもイラッとするだけみたいです。進路の話を長々とされても実際は聞いていなかったりする。

 

なるほどこうして生徒達の子ども達の扉は閉まっていくのね。シャッターが降りていく・・

 

子どもに向かって「スマホばかりしていないで勉強しなさい!」と注意しておきながら、自分もスマホに夢中。「本を読みなさい!」と言いながら、自分は本はあまり読まない。「テスト前でしょう!勉強しなさい!」と注意しておいて、テレビ見ながら笑っている・・・

 

そういうことがあると、子どももきっとイラッとしているはずです。

 

要するに、話したり、説教する内容ってあまり重要ではないと思うんですよ。この人が言っているのだから「そうかもしれない」と思わせる関係性を作ることの方がよっぽど大事じゃないかと。

 

だから、相手にメッセージを届けるには、松岡修三みたいになって「熱血」に語る必要はないんですよ。相手からの評価が悪ければ、どれだけ熱血に正論を語ろうともメッセージは絶対に届かない。順序が逆なんですよね。説教垂れるときは要注意です。