塾における科目分断、科目細分化に反対します


かまなびの学童型学習では科目ごとに区切られていません。

 

一般的な塾では、

 

月曜…数学

木曜・・・英語

 

というように科目で区切って学習しています。

 

 

しかし、科目ごとに区切ってしまうと個別対応がどうしてもできなくなってしまいます。

 

子どもたちからすると、今日の学校でわからないところがあった、学校の宿題が出ていて苦戦しているなど「リアルタイムに」やりたい科目、やるべき科目が違うこと多いからです。

 

 

こういうときに「今日は英語だから学習できません」となってしまうのはもったいないですよね。せっかく自主的に「これを学びたい」となっているというのに。

 

そういうわけもあって、かまなびの学童型学習では科目ごとに区切ることをやめました。1日に複数科目やることもありますし、1科目に絞ってやることもあります。

 

そういえば個別指導形態の塾が流行っていてバンバンできてますが、科目で区切っているので個別対応ではないことが多いので注意が必要です。ただ、大学生の講師の数が多いというだけのケースもありますよ。「他の科目をやるなら、別料金になります。」といわれた方もいるのではないでしょうか。

 

科目や講座で区切れば、たくさん儲かる

そもそも科目や講座という名目で学びを分断するのはなぜなのでしょうか。

 

科目をわけることで、授業の担当者が専門特化できるというメリットはあります。そういう一流の先生が教えているならわかります。

 

ところが、最近の塾は、コスト削減で大学生を使っているところがほとんどです。一時的にやっている人がほとんどでしょう。

 

したがって、そんなに科目を区切る必要はないわけです。文型・理系などざっくりでもいいと思います。

 

しかし、それでも科目を区切る必要があるのは、授業をたくさん売って利益を大きくしたいという、ビジネス的な事情なんです。

 

このようなビジネス事情は、科目を分けただけにとどまらず、講習では「講座」という形をとってさらに細切れにされていきます。

 

「英語長文読解」「重要英文法」「関数」「方程式の文章題」などなど科目は細切れにされていくのです。

学ぶ前に、学びの価値は判断できない

 こういう科目細分化の弊害は、「お金がたくさんかかる」というだけではないというところが問題です。

 

 というのは、「学びを等価交換でしか考えられなくなってしまう」からです。

 

 つまり、「学ぶとどんな良いことがあるの?」という風にしか学べなくなってしまいます。

 

 学びが自動販売機やコンビニのように売られているものを買う感覚になってしまうと、そのうち子どもは学ばなくなってしまいます。

 

 母「あの長文読解の授業どうするの?やるの?やるなら買うよ。」

 

 息子「俺は英語使わないからいいや。やらない。」

 

 「いいか悪いか判断しないで学ぶ」という姿勢は常に大事になります。なぜなら「学ぶ前に判断できないから学ぶ」のが学びの基本姿勢だからです。

 

 というようなことが、このブログでも良く出てくる内田樹先生の『下流志向~学ばない子どもたち、働かない若者たち~』に書かれています。

 

 塾も「学び」を生業にする以上、その基本スタンスからはずれてはいけないと考えます。

 

 なんだかわからないけど学んでいた。学んだ後で振り返ってみたら学んで良かった。こういう形に持ち込むには、科目で分断、科目を細分化させない方がよい。これがかまなびの基本スタイルです。