『「消費」をやめる~銭湯経済のすすめ~』平川克美


今日は消費について考えさせられる1冊を紹介します。ミシマ社から出版された『「消費」をやめる~銭湯経済のすすめ~』です。

本書では、アメリカの大型スーパーマーケット「ウォルマート」が引き合いに出されていました。

 

●ウォルマートがたとえばアメリカのどこか中都市の地域に入ってくると、はじめにプラスの効果がもたらされます。雇用が生まれ、買いものが便利になって値段も安くなります。

 ・・・しばらくすると、最初にもたらされたいい効果が、徐々に薄れていきます。結論を先にいうと、長期的には地域経済が破壊されるおそれがあるということです。

 価格や品揃えで太刀打ちできない地域の個人商店がまず姿を消し、次いで、当初はウォルマートに商品を納めていた地域の業者が次々と潰れていきます。●

 

 地域の個人商店が潰れるだけでなく、納入業者が潰れてしまうというのは驚きでしたね。

 

 当初納入していて共存共栄の関係にあった業者は、ある日納入できない大量の注文をウォルマートから受けます。そして、製造できないので、外部に製造を委託します。ここで製造技術が外に流れてしまいます。そこで外部に製造方法がわかったところで、ウォルマートに徹底的にそれを研究されてしまい、似たものを人件費の安い中国でつくらせ「自社ブランド」として売り出すというのです。こうして納入業者が潰れていく。

 

 そういえば、最近安い「自社ブランド」を並べて売っているのをみかけますね。大型店舗ではおなじみになってきました。

賢く消費していますか

 消費者は、同じものが並んでいれば安い方を買う。これが合理的で賢いということになっています。

 

 しかし、実際はこうした消費を続けていれば、地域の経済は崩れていってしまいます。

 

 筆者は、地域コミュニティが「商店街を中心にしてできている場合が多い」と指摘します。

 

 私の地元も商店街が現在廃れてしまい、町のお祭りもなくなってしまいました。多くの人が経済合理的な消費を続けた結果なのかもしれません。

 

 「ちょっと高くても顔の見える近所の店で買う」ことが地域のコミュニティ存続につながっている、というところまで意識が働いて始めて「賢い消費者」だという筆者の指摘はなるほどと思いました。

 ところで、どうして私たちはカネに振り回され「消費病」のようになってしまうのでしょうか。

 

 働いてもらった分だけおカネを使ってしまいますし、現金がないのに欲望を刺激されてローンで高い買いものをして、その支払いの為に働いています。

 

 この点について筆者は次のように最終章で述べています。

 

●消費欲は、商品の群れのなかを行き来することで亢進したり、不規則な生活や、ストレスフルな仕事や、人間関係の不調といったものを埋め合わせるためにさらに亢進するのです。現代人の過剰な消費とは、過剰なストレスからくる空虚感を埋め合わせる代償行為ともいえるでしょう。●

 

 よく「頑張った自分へのご褒美」という話を聞きますね。

 

 こういった消費行動をとりたくなるような生活をみんなが強いられているということでしょうか。それで結局、働いた分だけ使ってしまう。

  

 しかもそういった消費行動が地域に還元されていればいいのですが、その利益の多くをグローバル企業などに持っていかれてしまっている可能性がある。そして、その先に地域コミュニティの崩壊が待っているのかもしれません。今一度、自分自身の消費行動を見直す時期にきているのかもしれません。